こんばんは、和(なごみ)です。
家庭学習のスケジュールは、今のところ私がほぼ全部作っています。
学校と塾の予定を見ながら、宿題、復習、プラスα。
正直、結構大変です。
算数・国語、といった大枠ならロコ太にも考えられると思うけれど、
細かい優先順位や分量、タイミングまで考えるとなると、
ここに「ロコ太の時間を使うのも違うのかな」と思ってしまう。
一方で、自分で考えて動く力は、
ロコ太の課題のひとつでもあります。
空き時間があったら、
「ここをやっておこう」
と判断すること。
必要なことを自分で拾いにいくこと。
でも現実は、ほぼ一日中やることが決まっていて、余白なんてほとんどない。
それでも、必要なんじゃないか。
その思いは、ずっと捨てきれずにいました。
最近、朝に勉強がない日でも、
起床時間だけは変えずに、
自由に過ごさせるようにしています。
ゲームをしてもいい、何をしてもいい。
正直に言えば、
「どうせゲームだけで終わるんでしょ」
そう思っていました。
そして、口に出しかけました。
「ゲームしかやってないでしょ?」
でも、ふと目に入ったのが、
できたことカレンダー。
そこには、
「朝、ゲームを少しにして半分は勉強した」と書かれていました。
暗記だったり、
「ここは今週中にやろうね」
と話していたことだったり。
ロコ太なりに、必要だと思ったことをやっていたみたいです。
その瞬間、
あ、今の一言、危なかった
と思いました。
芽を、摘むところだったな、と。
だから、思い切り褒めました。
「ちゃんと考えて動いてたんだね」
「それ、すごく大事なことだよ」
疑ってしまった自分も反省しつつ、でも、それ以上に
ちゃんと見て、気づけたこと
を大事にしたいと思いました。
中学受験って、
小学生にしては、かなり背伸びした世界です。
求めることも、
つい実年齢より高い目線になりがち。
でも、ロコ太はまだ11歳。
その中で、
「半分でも、自分で考えて動いた」
それは、十分すぎる一歩だったんだと思います。
完璧じゃなくていい。
全部できなくていい。
でも、
芽が出ていることに気づけた今日は、
きっと大切な一日だった。
そう思っています。


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